米国海兵隊の功績と名誉を一躍押し上げた、硫黄島における戦勝。 摺鉢山にたまたま二本目の国旗を揚げに行った場面の写真が、ピューリッツアー賞を受けたことで、建てられたこの記念碑は今でも多くの人々がおとずれる。 1945年2月19日から3月26日までに楽な勝利を確信していた海兵隊七万の,三分の一が死傷し、二万一千の日本軍(日本の記録とは異なる)がほぼ壊滅したこの戦いは米国にとっては戦勝を決定づけたが、日本にとっては東京大空襲につながる、悲惨極まる歴史にすぎない。 栗林忠道中将指揮下、徹底抗戦を命ぜられた日本軍は武器弾薬はおろか食糧の補給すら断たれた中で玉砕をも許されず28キロに及ぶ洞窟の中で、すべて枯渇した灼熱地獄のなかで戦い抜き一滴の水を求めながら、火炎放射機で焼かれ骨となっていった同朋の死は無駄であったとしか言えない。
旧サイゴンの西数十キロにあるクチのトンネルは南ヴェトナム民族解放戦線によって掘られ、今も観光地となって見る者を圧倒させるが、勝利を確信して泥地を掘り進んだベトコンと、死ぬことがわかっていながら、岩と硫黄の中を掘り進んだ日本軍の悲劇はもっと歴史に刻まれるべきであったが、我が国にこの戦いの碑はない。
2006年に二本の映画がアメリカで作られたが、死者に対する冒涜以外のなにものでもない。
旧サイゴンの西数十キロにあるクチのトンネルは南ヴェトナム民族解放戦線によって掘られ、今も観光地となって見る者を圧倒させるが、勝利を確信して泥地を掘り進んだベトコンと、死ぬことがわかっていながら、岩と硫黄の中を掘り進んだ日本軍の悲劇はもっと歴史に刻まれるべきであったが、我が国にこの戦いの碑はない。
2006年に二本の映画がアメリカで作られたが、死者に対する冒涜以外のなにものでもない。
もし、私がこの時代に生きていたのなら、
返信削除国の為に戦い、愛するものの為に銃刀を突きつけるような
ことはとてもできないだろう。
(臆病だからね)
けれども、当時に流れていた家屋や街の空気を吸って
みたいというのは、せこい好奇心だろうか。