2009年8月6日木曜日

Pl.de Michel Petrucciani

 パリ18区モンマルトルの北にある、ミシェル ペトルチアーニ広場。  Pl. de Michel Petruccianiと記されてはいるが、ほんの小さな一画にすぎない。  ここを探し出すのには苦労した。  交番というものがないから道行く人に聞いてもまず知らない、というかフランス語での聞き方が悪い、答えが通じない、英語が通じない、もともと、この有名な地元出身のジャズピアニストを知らない、というのがほとんである。 ただ一人美人のマドモアゼルが教えてくれたのは、左に曲がって四つ目の角左、分かりにくいけどね、そうよ彼は偉大なピアニストよ、、、と。  ところがその辺りまで行っても全くわからないし誰も知らない。  もう帰ろうとふと見上げたら あった。     広場というよりは、鋭角に交わる道の間に木立がありその中のプレートに書かれてあった。 障害を持って生まれたピアニストであったが、人一倍大きな手から叩き出されるサウンドとテクニックは前世紀後半では最高のジャズ ピアノであったと思う。 こんなちっぽけな記念碑でも忘れ去ることのないようにと作られた意図が伝わるし、あの右手のメロディとやさしいしゃべりが聞こえてきそうである。        あってよかった。

2009年7月18日土曜日

Blues Alley



日本に店が出来て、観光客が押し寄せるニューヨークの有名店に比べて、いいライブ、変わらない場所、建物、メニュー、 店そのものは全く変わらない、たぶんただ一つのJazz Club, “Blues Alley”.  ジョージタウンの路地にひっそりとつつましく昔のままで続く。 Food menuはみんなジャズメンの名がつけられ、 毎夜、路地までフルボリューム?のセットが響くこの店、佇まいはどこか、一の関 “ベイシー”、ポリシーは名古屋“ラブリー”に似ていると思っている。  昨夜のライブはMarcus Johnsonのバンド、ちょっと耳に刺激ありすぎた、そのあと、数ブロック上にあるパブ“Martin’s Tavern”、へ、ここはJFKとジャクリーンはじめとする常連客がつづくナイスプレイス。
今全英オープン二日目、タイガーとリョウイシカワの組、終了、タイガーは家帰って、飯食うそうです。
残念でした。 

2009年7月7日火曜日


パリ 6区サンミッシェルに昔からあるJazz Club "Le Caveau des Oubliettes"。  地上は普通のパブ、小さいドアがあり、そこを開けると、地下はジャズライブをやってるという店は多いけど、昔からジャズやってたのに、いつの間にかシャンソニエ、や、なんでもありという風に変わっていくのは、どこの街でも時代の流れか。  ニューヨークでも、有名ジャズクラブはどこも日本人観光客で繁盛してるというのはうんざりで、どうしても、小さくてもローカルミュージシャンで頑張ってる古い店に落ち着くこととなる。  チャージは安く、食事もいける、しかしどうしてもジャズ以外のわけのわからん?音楽が混ざってくるのは残念ではある。  ま、その日によるけど、たまたま、へたなジャムセッションやってたら、最悪である。  

2009年6月25日木曜日

IWOJIMA MEMORIAL


米国海兵隊の功績と名誉を一躍押し上げた、硫黄島における戦勝。 摺鉢山にたまたま二本目の国旗を揚げに行った場面の写真が、ピューリッツアー賞を受けたことで、建てられたこの記念碑は今でも多くの人々がおとずれる。   1945年2月19日から3月26日までに楽な勝利を確信していた海兵隊七万の,三分の一が死傷し、二万一千の日本軍(日本の記録とは異なる)がほぼ壊滅したこの戦いは米国にとっては戦勝を決定づけたが、日本にとっては東京大空襲につながる、悲惨極まる歴史にすぎない。   栗林忠道中将指揮下、徹底抗戦を命ぜられた日本軍は武器弾薬はおろか食糧の補給すら断たれた中で玉砕をも許されず28キロに及ぶ洞窟の中で、すべて枯渇した灼熱地獄のなかで戦い抜き一滴の水を求めながら、火炎放射機で焼かれ骨となっていった同朋の死は無駄であったとしか言えない。  
旧サイゴンの西数十キロにあるクチのトンネルは南ヴェトナム民族解放戦線によって掘られ、今も観光地となって見る者を圧倒させるが、勝利を確信して泥地を掘り進んだベトコンと、死ぬことがわかっていながら、岩と硫黄の中を掘り進んだ日本軍の悲劇はもっと歴史に刻まれるべきであったが、我が国にこの戦いの碑はない。
2006年に二本の映画がアメリカで作られたが、死者に対する冒涜以外のなにものでもない。

2009年6月20日土曜日

されどゴルフ

British Columbia州Squamish Valley Golf Club.
先週、友人宅に3日間滞在し2ラウンドさせてもらった。  芝の緑、青空、マウンテンビュー、心地よい風、冷えたローカルビア、、すべてパーフェクト。  スコア以外は。 
バンクーバーはこれから最高のシーズンに入る。  シアトルで3ラウンド、サンフランシスコで2回、 すでに今までの年平均ラウンド数はこの3か月でこなしたわけで、さぞや上達があったかといえば、逆で回数を重ねてもその通りいかないのがゴルフの恐ろしいところ。  海外ゴルフで優雅に見えるが、日本のコースでラウンドする精神的、金銭的負担を考えれば、仕事先や人に世話になってやるのが今の我々夫婦の楽しみのひとつ。 
カナダのアウトドアキャピタルといわれるこの町で友人の子供たちは、小、中学生共 放課後、散歩のようにワンラウンドする。  アイスホッケー、野球、スキー、すべてこなした上でのゴルフ、彼らの楽しみはゲーム機ではない。

2009年5月22日金曜日

From USA today

The recession will keep more people-an estimated 14 million of them - out of U.S. skies this summer. The Air Transport Association airline industry trade groupe estimates 7% fewer pax. will be on airplane in the U.S. June 1 through Aug.31 compared with last year. But don't expect planes to feel less crowded because airline have cut flights and routes or moved to smaller planes in response fewer passengers. They say there will be 32 fewer flights a day across the North Atlantic this summer than last year. I don't know about trans Pacific route but why not take this opportunities to travel to U.S. and Canada , may be the opposite way .

2009年5月21日木曜日

Swine Flu

4日間いない間に行く前4名だった感染者が一気に200名超え。  内心はほっとしている。 これで水際作戦などという滑稽な空港での検疫がそのうち終わるだろうから。     当初は2,3人の検疫官により、長距離フライト後でぐったりの客室に機内検疫が行なわれる、 一人でも疑いのある旅客がおれば多数が足止めになり、 大臣が自慢気に作戦の効果を会見をする 。  国税庁の査察であるかのように。  だんだん検疫官の数が増え、時間は短縮に向かいつつあるとき、渡航なしの神戸からの感染確認。   あの多くの人々に膨大な時間損失を与えてきた空港のセレモニーは何だったのか、 全身防護服、マスクにメガネ、サーモグラフィ片手に勇んで機内に立ち入りこちらの状況報告依頼には一切答えない、 しかしあの重装備いつ脱ぐのか、空港内か家に帰ってから? 自分たち以外の人間は全員伝染病患者なんか。  関西では、マスクが売り切れ? いい加減にパニクるのやめへんか、日本人。  アメリカ、カナダ、でマスクしてる人見たことないけど。